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2006年4月22日 (土)

《いのち》が光る


「仏とは、心が清らかなことであり、
 仏法とは、心の輝きであり、
 仏道とは、何にも遮られないで、《いのち》が透明に光ることだ。」



仏というは心清浄是なり。
法というは心光明これなり。
道というは処々無碍浄光是なり。

中国唐代末期の高僧 臨済義玄禅師(生年不詳~867年没)の言葉
      出典:『前衛仏教論~〈いのち〉の宗教への復活』 
          町田宗鳳著  筑摩書房 ちくま新書 2004年12月


「<いのち>が透明に光る」とは、何といい言葉だろう。
悪口雑言の毒舌で有名だった中国禅臨済宗の祖が、
思わず自然体で語った言葉のようですが、
仏教が死者のための宗教ではなく、
生きるための〈いのち〉の宗教であることを、
やさしく、しかし明確に言い切っているところが清々しく、
新米の仏弟子には力強い応援歌のように聞こえてしまう。
力まず自然体で頑張ろうね。                              


合掌 観学院称徳
http://buddha.kangakuin.info/

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